逢坂誠二氏は、立憲民主党で北海道8区より出馬し、衆議院議員となっています。
枝野幸男前代表の辞任にともない、党代表選に出馬したことも話題となりました。
今回は、そんな逢坂誠二さんに関しまして、「逢坂誠二の経歴プロフィール!党代表選の推薦人は誰?」
と題して記載していきます。
逢坂誠二の経歴(略歴)
- 生年月日: 1959年4月24日(62歳)
- 出生地: 北海道虻田郡狩太町(現:ニセコ町)
- 出身高校:北海道俱知安高等学校(くっちゃんこうとうがっこう)
- 出身大学 :北海道大学薬学部
1983年、免疫学の研究者になる事を目指していましたが、父が病気となったことで断念し、大学卒業後、4月からニセコ町役場へ入庁します。
1984年に仕事をしながら薬剤師の免許を取得し、北海道大学や慶応大学の研究室に出入りしながら法律の勉強を始めます。
1994年10月、ニセコ町長選挙で当選。若干35歳の町長選当選は当時の全国初でした。
町長選の3選後の2002年に、連合北海道、市民グループ8団体、翌年2003年には民主党からも北海道知事選の出馬要請を受けるも、知事選の不出馬を表明。
2003年2月12日、これまでの知事選に関する一連の騒動の責任をとるとして、議長に退職申出書を提出し、ニセコ町長職への辞意を表明する。
しかし、逢坂氏の説明会を開いた会場から「撤回を求める署名を集めたい」との声が上がる。
結果、15歳以上の町民の77%にあたる3000人分の署名が届けられ、町議会は全員協議会を開き、署名が集まったことなどを考慮し、退職の同意案件を臨時議会に提出しないことを決めた。それにより、2月26日に辞職を撤回すると伝えました。
2005年8月25日、比例北海道ブロック単独1位候補として立候補することを正式に表明し、同8月29日に町長を辞職。
2005年9月の第44回衆議院議員総選挙で初当選。
2009年の第45回衆議院議員総選挙で、北海道8区で再選
鳩山由紀夫内閣で内閣総理大臣補佐官に任命されてると、以降の菅直人内閣まで務めます。
2016年3月27日、民主党と維新の党が合流して結成された民進党に参加。
2017年、「希望の党とはどうしても合わない」と述べ、民進党本部が求める希望の党への公認申請を見送る方針を明らかにし、10月3日に結党した立憲民主党に入党。
第48回衆議院議員総選挙に無所属で立候補し、4選。その後、立憲民主党は役員会で逢坂を公示日に遡って追加公認することを決める。
2019年1月28日、立憲民主党の政調会長に就任。
https://youtu.be/z86qe2Wfaz8
地元からの期待ニセコ町長の経歴
逢坂議員は、1994年に当時全国最年少の35歳でニセコ町長に就任すると2005年に辞職するまで、徹底した情報公開などの開かれたまちづくりを実践したことで全国から注目されました。
2004年には内閣府が行った調査で、ニセコ町が参考にしたい自治体の1位となったことも、逢坂氏の活動が注目された事の一端といえるかもしれません。
こういった、地元での活動から衆院選での当選につながっています。
党の代表選への出馬で、地元北海道からの期待も多くあると報道されています。
代表戦の推薦人20人は誰?
党の代表戦での逢坂誠二氏の20名の推薦人は以下となります。(敬称略)
【衆院】
- 石川香織(北海道11)
- 大築紅葉(比例北海道)
- 近藤昭一(愛知3)
- 堤かなめ(福岡5)
- 道下大樹(北海道1)
- 山岡達丸(北海道9)
- 柚木道義(比例中国)
【参院】
- 有田芳生(比例)
- 江崎孝(比例)
- 小沢雅仁(比例)
- 勝部賢志(北海道)
- 岸真紀子(比例)
- 斎藤嘉隆(愛知)
- 田島麻衣子(愛知)
- 那谷屋正義(比例)
- 白真勲(比例)
- 鉢呂吉雄(北海道)
- 水岡俊一(比例)
- 森屋隆(比例)
- 吉田忠智(比例)
まとめ
逢坂誠二議員は、地元北海道で強い支持を受けているのが経歴からも分かります。
立憲民主党の代表選に出馬し、今後の活躍にも注目されます。
それではここまでご覧いただきありがとうございました。
